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▼コラム 

   熊久保英幸【くまくぼ・ひでゆき】         Hideyuki Kumakubo

●PROFILE●  

1967年6月23日、東京都出身。学生時代からの格闘技好きが高じて、89年1月に日本スポーツ出版社『ゴング格闘技』誌編集部でアルバイト開始。同年6月に社員となり、91年より同誌の副編集長、94年より編集長を務める。2000年には企画部長に就任、『ゴング格闘技プラス』や『ゴング格闘技ムックシリーズ』などを手がけた。

編著に『最強最後の大山倍達読本』『完全無欠の前田日明読本』『PRIDE最強読本』他多数。

また、格闘技解説者としてWOWOWの『リングス中継』(94〜01)を始めフジテレビ『SRS』、テレビ東京『シュートボクシング中継』、サムライ『格闘ジャングル』などに出演。02年5月、日本スポーツ出版社を退社し、当サイトで新境地に踏み出す。



    Column             私が出会った素晴らしき格闘家たち

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ここでは僕(熊久保)が取材活動を通じて出会った、思い出深い格闘家たちとのエピソードをコラム形式で綴っていきたいと思います。不定期連載ですが、どうかお付き合いくださいませ。

第1回 大江 慎(シュートボクシング→Uインター→UWFスネークピットジャパン)

▼序章
 あれは1986年の秋ごろだったと記憶している。
たまたま応募した『ゴング格闘技』のチケットプレゼントでシュートボクシング後楽園大会のチケットが当たったので見に行くことにした。もちろん、この時の僕は普通の一格闘技ファンだった(と言っても格闘技が好き、なんて人はこの当時は珍しい人種だったと思う)。

 ペアで当たったので、いつもプロレスを一緒に観戦していた友達を誘ってみた。「なんだよ、シュートボクシングって。そんなの知らね〜よ〜。電車賃の無駄だよ
〜」と渋る友達を強引に連れて行く。後楽園の駅を降りたところに弁当売りの屋台が出ていて、「場内で買うと倍の値段だよ〜!」と魅力的なことを言っていた。そこでおにぎり弁当を600円で購入してホールに入ったのだが、売店で確認してみたら同じおにぎり弁当が500円で売られていた…。

▼驚異の新人デビュー!
 客席はガラガラだった。当たったチケットは自由席だったが、あまりにもお客が入ってないので無視して前のほうの指定席に陣取ることに。
 いま思うと不思議な話なのだが、当時はパンフレットが500円という格安の値段で売られていた。ところが、売り場のお兄ちゃんが「二部で500円でいいよ」と言うので、二人で購入。ウソのようなホントの話だ。

 そのパンフレットを開くと、当然のことながらメインに出場するシーザー武志以外は知らない選手ばかり。シーザーは『週刊プロレス』の「格闘技通信」というコーナーによく出ていたので、プロレスファンの間ではちょいと知られる存在だったのだ。「へぇ〜、シーザーは風間ってのとやるのか。シュートボクシングからジャパン女子プロレスに転向した風間ルミのお兄さんかな。この力忠勝っての悪い顔してんな〜、きっと悪役だぜ」などとのんきな会話をしていると、第1試合が始まった。 はっきり言ってシーザー以外の試合は期待していなかったのだが、この第一試合に出場した「本日がデビュー戦」という若い選手に僕は度肝を抜かれることになる。とにかく投げる、投げる、投げる! ジャーマンはやるわ、フロント・スープレックスはやるわ、まるでプロレスの試合を見ているようだった。10回ぐらい投げたのではないだろうか…試合はその若い選手の圧勝に終わった。

「あいつ、スゲェな!」僕と友達は初めて見たシュートボクシングという格闘技に、すっかり興奮していた。2冊500円で購入したパンフレットを見ると、その選手の名前は「大江慎 17歳」。そう、今や『ファイティングTVサムライ!』の「キックの星」でキャスターを務め、お笑い芸人のような芸風で活躍しているあの大江慎である。

 今でこそジュニアヘビー級のプロレスラーのような体格をしている大江だが、この当時はギュッと引き締まったブルース・リーのような体格をしていた。顔も今のようなたぬきのような顔ではなく、きりりと鋭い眼光と鋭角的な輪郭を持っていた。本人が頭にのるのであまり言いたくないが、はっきり言ってカッコよかった。
 この試合を思い出すと、「これこそがシュートボクシング」という試合ではなかっただろうかと思う。1試合で10回も投げるなんて、今では考えられない。打撃の攻防ももちろんあったが、メインの決め技は投げだったし、相手選手がわざと座り込んで投げを防ぐということもなかった。

 残りの試合も迫力があったし、面白かった。怖い顔の力忠勝はスリーパーホールドをかけたりしてレフェリーに怒られるという期待通りの悪役ファイト、不知火隼人という選手はめちゃくちゃ強かった。お目当てのシーザーもローキックでKO勝ちして「格が違うよな」などと僕は友達にのたまったりしたもんである。中には後に“朝までシュート”と呼ばれた延々と延長が続いて終わらない試合もあったが、まあそれはそれで面白かった。
※当時のSBは10分一本勝負、延長5分で2ポイント差以上が付くまで延長を繰り返すというルールだった。当時から立ち関節は認められてたのに、力さんのスリーパーがなぜ反則だったのかは疑問。

▼大江慎との再会
 この試合をきっかけに、シュートボクシングが気になるようになった。しかし、一緒にお金を払ってまで試合を見に行ってくれる友達がいなかったため、試合結果などは雑誌でチェックするしかなかった。当時はインターネットなんて便利なものはなかったしね。

 ところが、また大江の試合を生で見られる機会が巡ってきた。新生UWFの「真夏の格闘技戦」(88年8月13日・有明コロシアム)である。この大会ではシュートボクシングの試合が3試合組まれており、そこに大江も出場していたのだ。格闘技観戦にお金を使わない友達も、UWFなら見たいということで一緒に見に行った。

 約1年ぶりに見た大江は、本当に強くなっていた。左アッパーで5回ダウンをとって勝ったのだが、その左アッパーの凄いことと言ったら…。まるでストレートのような軌道で放たれ、相手のアゴがガンガンと跳ね上がるのである。ゴンゴンという鈍い音が聞こえてきて、こっちにも痛みが伝わるようだった。

 当時は『週刊ゴング』の記者を目指していた僕だったが、この大会を観戦して『ゴング格闘技』の記者を目指すことに軌道を修正した。それほどまでに、大江の試合はカッコよかった。なぜ格通ではなくゴン格だったかというと、僕は週プロよりも週ゴンを買うという根っからの“ゴング派”だったからだ。
 こうして、大江慎は僕の人生に多大な影響を与えた選手になった。

(つづく=いや、続くんですよ皆さん。懲りずに付き合ってください)
続き-第2回へ!

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